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こんにちは。 私は昔から教育には興味があるので注目しているのですが…
昨日ニュースなどで子供の日本語能力が低下していることが報じられていました。
嬉しいときも悲しいときも、驚いたときもなんでも「ヤバイ」だけで表現するそうです。
私達の世代も「ヤバイ」という言葉は失敗した時にとっさに出てしまいますが、「ヤバイ!失敗した〜。○○やっちゃった〜」といった使い方をしますが、そういった類ではないようですね。
文脈や雰囲気を読むことができず、大学でも「骨が折れる」ということをそのまま受け取ってしまい、「骨折するようなことなんて誰もしたくないじゃないですか!」と意見を言った学生までいたとか。 「つまらないものですが」との挨拶もきちんと理解できないとか。 以前から大学での学生の学力の低下は深刻だったようですが、唖然としてしまいました。
一説では、言葉で上手く表現できないから体で表現することになり、暴力などにつながっているとの見解もあるようです。
しかも夏休み期間中に2回もニュースで宿題代行の横行のニュースを目にしました。 ドリルで2万円。工作で5万。自由研究で3万などなど・・・。 びっくりしました。 全く子供のためにならないのでは??
聞いた話では「賞をとれるような作品にしてください」などと親から希望があったりすることもあるらしいですね。
私もドリルはめんどくさかったけど、休みが始まったらさっさと集中的にやってあとはパーっと遊ぶタイプでした。
工作も自由研究も親に何も言われなくてもすごく好きでワクワクしながらやっていました。
子供の頃って、「わかること」が楽しいことではないのでしょうか? 「なぜ?」「何?」と疑問ばかりで、一生懸命調べたり、考えてみて答えがわかるとこの上なくワクワクと楽しい感覚を覚えたものですが・・・。
私自身まだまだ未熟者だし、漢字も手紙を書きながら「こんな漢字も忘れて情けない…」と吾ながら思っていますが、何故?と疑問を持ち、調べ、考え、答えを導くことはとても楽しいことだと今でも思います。
私は子供もまだいないし、実際の教育現場を見たわけではないので、おそらく実際はそこまでではないだろう、そうあって欲しくないと思っています。
私の住んでいる地域は特殊な場所なのでかなり教育熱心な方が多いらしく、親もすごい学歴の人が多数いるので習い事も自由時間が無いほどにバイオリン、ピアノ、テニスと多数行い、自由研究も親の徹底指導でされたりして、先生が参ってしまうくらいらしいと聞きます。実際にものすごい確率の進学率なんですが…。 それもどうなんだろうって思います。 ちょっと怖いです。
教育格差が広がっているような気がしてなりません。
私の育ったところは複式学級がある学校もあるくらい田舎でしたが、先生が生徒のことを1人1人よく理解して、ちょっとした変化にも敏感に察してくれていました。 のんびり楽しく勉強して外で生き生きと遊ぶ。 親との連携もバランスよく取れていてまるで灰谷健次郎の本の世界のようでした。
私の親も穏やかではありましたが、時には厳しく、勉強でわからないところを聞くとわかるまで根気良く教えてくれていたので、ドリルなどにお金を払って誰かにやってもらうなんてちょっと信じられません。
親はどうしてるの?って思うんです。 やっていないのだったら、子供にまずさせてみて、 わからないのだったら何故一緒に考えてやらないのでしょうか?
灰谷健次郎の本を読むと、心が温かくなるし、灰谷氏の望む教育って素晴らしいと感じるけれど、「こんなところは今あるのかな?今後できるんだろうか?」って寂しくなってしまいます。
実際のところ、今の子供と教育についてみなさんはどう感じていますか?
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